能登半島地震ボランティア2025年6月
(64回トレンドマイクロ スマイルプロジェクト)

■トレンドマイクロがボランティアをする理由

サイバーセキュリティ事業を展開するトレンドマイクロは、継続的にボランティア活動を実施しています。東日本大震災が発生した2011年から現在に至るまで、日本国内だけで60回を超えるボランティアをしており、今回は64回目です。

トレンドマイクロがボランティアを推進する理由は明確です。サイバーセキュリティ事業は悪意があるサイバー犯罪者との戦いでもあります。ただ、サイバー攻撃を行うことと、サイバー攻撃から人々を守ることは表裏一体とも言えます。サイバーセキュリティ対策を行うためには、サイバー攻撃の手法や手口を熟知している必要があるためです。トレンドマイクロのCEOであるエバ・チェンは「私たちの持っている知識は悪用できてしまうリスクをはらんでいます。社会活動を通して、正しい心を持った社員の育成に力を注ぎ続けます」と述べており、ボランティアを通して、正しい力を正しく使うことに繋がる心の育成に力を入れています。

そのため、当社のボランティアは立候補制で、トレンドマイクロ株式会社に所属する全社員は、原則誰でも参加することができます(入社間もない方などは除く)。

能登半島地震への3回目のボランティア活動

トレンドマイクロでは、日本国内へのボランティア活動を「スマイルプロジェクト」と呼んでいます。被災地の方々に笑顔の輪を広げることを目的とした活動です。

64回目のスマイルプロジェクトは、2025年6月12日(木)~6月14日(土)に9名で行いました。能登半島地震へのボランティアとしては3回目で、前回訪問した2024年6月から1年が経過しています。私は今回初めて能登へ訪問しましたが、前回当社がボランティアで訪問した際の写真と比較すると、だいぶ“復旧”が進んだことが伺えます。ただ、私が初めて能登に訪問した際の感想は「まだまだ“復興”に至る前の“復旧”が必要な個所が複数ある」というものです。

通行止めになっている道路(2025年6月撮影)

通行止めになっている道路(2025年6月撮影)

海岸付近に放置された自動車(2025年6月撮影)

海岸付近に放置された自動車(2025年6月撮影)

2024年4月及び2024年6月に実施した能登半島地震ボランティアに関する記事は以下をご覧下さい。

2024年4月能登半島地震ボランティア
2024年6月能登半島地震ボランティア

1日目(2025年6月12日):能登半島地震を知る

私たちがボランティア活動を行う際に重視していることは、荷物の搬入や片付けなど、所謂ボランティア活動だけではなく、現地を自分たちの目や耳で知るということです。そのため、今回は2025年4月6日より運航を開始した「震災語り部観光列車」に乗車し、当時のことを伺いつつ。その後、2台の自動車で特に被害が大きかった珠洲などを視察しました。

<初日のスケジュール>
東京(8:11発)⇒金沢(10:46着)
金沢(11:05発)⇒七尾(12:57着)
七尾(13:12発)⇒穴水(14:04着)※震災語り部観光列車
穴水⇒のと里山空港(タクシー)※20分程度
のと里山空港⇒珠洲など視察(レンタカー)

震災語り部観光列車に乗車するトレンドマイクロボランティア(2025年6月撮影)
震災語り部観光列車に乗車するトレンドマイクロボランティア(2025年6月撮影)

震災語り部観光列車に乗車するトレンドマイクロボランティアメンバー(2025年6月撮影)

「震災語り部観光列車」では、震災発生時に乗車員がお客様と共にどのように行動したのかを説明頂きました。ご年配の方をお連れしながら、なんとか避難したお話しが私は印象的でした。あわせて、能登の自然の豊かさも説明頂きました。震災語り部観光列車から見える景色は、まるでアニメの中に入り込んだような美しさでした。

震災語り部観光列車から見える景色(2025年6月撮影)

震災語り部観光列車から見える景色(2025年6月撮影)

珠洲市の見附島と周辺の様子(2025年6月撮影)
珠洲市の見附島と周辺の様子(2025年6月撮影)

珠洲市の見附島と周辺の様子(2025年6月撮影)

珠洲市の見附島に立ち寄った際は、自然の美しさとともに、まだ整備されていない道路があることを知りました。震災語り部観光列車で「地震でマンホールが飛び出てしまった」際の写真を見せて頂きながら被害の状況を説明頂きましたが、実際の状況を目の当たりにすると、さらにその当時の地震の大きさを感じました。

地震で飛び出てしまったマンホール(2025年6月撮影)

地震で飛び出てしまったマンホール(2025年6月撮影)

2日目(2025年6月13日):民家の荷物を移動 ~もどかしい思いをした移動、改めて知る能登の自然の美しさ~

二日目は6:00頃起床。7:30に宿を出て、9:00に輪島市に集合。その後、ボランティアセンターで本日対応するボランティアの内容について説明を受け、現地に向かいます。今回のボランティアは民家から荷物を納屋に運ぶボランティアでした。残念ながら民家は震災の影響で近々取り壊しが決まっているものの、思い出の品や引き続き利用できる品物を納屋に搬入。逆に納屋から不要な荷物を運び出すという作業をしました。

まず、私がもどかしい思いをしたのがボランティアの活動時間です。9:00に集合したものの、現地までは自動車で1時間程かかるため、往復約2時間は移動にかかってしまうことです。ボランティアセンターの方に説明頂いた「能登は、東日本大震災や熊本地震と大きく違うことは地理的な問題。半島という地理の問題で支援がしにくい」ということを実感しました。能登半島に向かうだけではなく、能登半島内の移動にも多くの時間が掛かってしまう実情があります。

通路の掃除(2025年6月撮影)

通路の掃除(2025年6月撮影)

荷物の運びだし(2025年6月撮影)

荷物の運びだし(2025年6月撮影)

納屋へ荷物の搬入(2025年6月撮影)

納屋へ荷物の搬入(2025年6月撮影)

家主とトレンドマイクロのボランティア(2025年6月撮影)

家主とトレンドマイクロのボランティア(2025年6月撮影)

昼食も家主の方とご一緒させて頂き、以前勤めていた組織(なんと警察官で警部さんでした)やご家族のお話しなどをお伺いしました。家主の方が立てた柱もご紹介頂き、自然を愛する家主の人柄が話し方からも伝わってきました。

家主の方が立てた柱(2025年6月撮影)

家主の方が立てた柱(2025年6月撮影)

3日目(2025年6月14日):ビニールハウスの解体 ~“復興”は人それぞれ異なる~

三日目は5:30頃起床。7:00に宿を出発し、8:00に2日目とは異なり、以前からお付き合いのある災害NGO結さんのベースに集合しました。その後、農家を営んでいた民家に訪問し、ビニールハウスの解体作業をしました。今まではトマトなどの栽培を行っていたそうですが、震災により農業を続けることが難しいため、更地にして別の農家にビニールシートを譲渡することにしたそうです。ビニールハウスは手作業で解体することで、錆びた部品などを除き、元のビニールハウスよりも小さくして再利用できます。作業をしながら、重機などを用いて廃材にしてしまい、新しいビニールハウスを1から作る方が合理的ではないか、という考えが頭をよぎりました。ただ、その場合勿論廃材にしてしまうので、再利用はできません。これは人によって考えが異なるので、正解はありませんが、私は、自分たちは農家をやめてしまうものの、自分たちが今まで使っていたビニールハウスは誰かが再利用してくれる、という気持ちの面もとても重要なのではないかと感じました。

災害NGO結の方々が「1年目は一歩先を、2年目は並走、3年目は後ろから押していく形で支援をしている」と仰っていたように、今は並走していくことがとても大切だと感じました。

ビニールハウスの解体作業(2025年6月撮影)
ビニールハウスの解体作業(2025年6月撮影)

ビニールハウスの解体作業(2025年6月撮影)

午前中の作業が終わり、ベースに戻ると、地域の方々が畑で採れた野菜などを使い、昼食を用意してくれていました。当社社員は、昼食はコンビニで済ませる予定だったので、驚きとともに嬉しい気持ちになりました。どれもこれも非常においしく頂きました。改めてありがとうございました!

地域の方々にふるまっていただいた昼食(2025年6月撮影)

地域の方々にふるまっていただいた昼食(2025年6月撮影)

今回、能登へボランティアを行うにあたり、10年程前にトレンドマイクロで働いていた方が営業する古民家ホテル“じろんどん”に宿泊しました。じろんどんも、震災の影響で2024年1月1日以降は通常営業が難しい状態でしたが、特別にお借りできました。“じろんどん”の女将にもこの場を借りてお礼申し上げます。

トレンドマイクロのボランティア一同と古民家ホテル“じろんどん”の女将(2025年6月撮影)

トレンドマイクロのボランティア一同と古民家ホテル“じろんどん”の女将(2025年6月撮影)

今回三日間という短い時間でしたが、地理的な制限があると言われている能登半島地震の復興の難しさを改めて実感したこと、“復興”は人それぞれ異なる形があり1つの正解はないこと、能登の美しさとそれを愛する住民の方々がいること、様々なことを知る機会になりました。ボランティアというとハードルが高く感じる方もいるかもしれませんが、ボランティアセンターの方も、地域の特産品など、同じ品物を買うとしても少しひいき頂き、能登の物産を購入するだけでも結果として支援に繋がる。自分ができる範囲で考えてほしい、と仰っていたように、ボランティアの形も正解はありません。能登半島地震があったことを忘れないことも1つのボランティアだと私は思います。本記事が能登半島地震のボランティアの一助になれば幸いです。

ボランティアが終わり、帰路は、のと里山空港から羽田空港まで1時間程で着きました。
ボランティアで疲れ切っている中、最後は笑顔で解散しました。

羽田空港に着いたトレンドマイクロのボランティア一同(2025年6月撮影)

羽田空港に着いたトレンドマイクロのボランティア一同(2025年6月撮影)

第64回スマイルプロジェクトメンバー 高橋 昌也
活動年月日:2025年6月12日(木)~14日(土)
※本記事に書かれている内容は執筆者個人の見解であり、会社の見解ではございません。