第21回SMILE PROJECTレポート

みなさん、こんにちは。第21回 ウイルスバスター SMILE PROJECTの参加レポートをお送りする初参加の白銀です。
今回のメンバーは、男性4名、女性4名の計8名、うち6名は初参加となります。3月5日から7日にかけ気仙沼市、唐桑半島、陸前高田市、気仙沼大島を訪れ、初日は現地の現状を五感で感じ、残り2日はボランティア活動をさせて頂きました。初めて訪れたとは思えないほど、現地の方々と打ち解けあい、とても充実した時間を過ごすことができました。ひとえに、本プロジェクトの活動が、地元の方々に必要とされ、我々も何かしたいという想いが繋がり継続しているからではないかと思います。日程を終えた後、身体はクタクタでしたが、心の中は参加前よりも元気になった気がします。お手伝いをさせていただいているのに、むしろ地元の方々からエネルギーを頂いているような感じがしました。それでは、日程に従って詳細をお伝えします!

【1日目】 朝7時台の東京発新幹線で一関駅へ向かい、少し大きめのワゴン車に乗り換えて一路 気仙沼へ。気仙沼観光コンベンション協会の方と合流し、唐桑半島のカキ小屋で昼食を頂きました。普段、私は好んでカキを食べるほうではないのですが、こんなに美味しいものとは思いませんでした。「ひたすらカキをお腹いっぱい食べる」と事前に聞いていましたが、本当にその通りで、カキでお腹いっぱいになったのは初めてでした。カキ小屋のお母さん、ごちそうさまでした。 満腹になった後は、陸前高田市まで移動。途中、観光協会の方から復興の状況やさまざまな思いを聞かせて頂きました。減災に対する取り組みは足りているのか、復興事業に地元の声は反映されているのか、など、今までテレビの特集番組で取り上げられているところをただ見るだけでしたが、そこに住んでいる人たちの実際の声を聞いたことで、今までよりも深く考えるようになりました。 陸前高田市内に入ると、大規模な盛土造成の真っただ中で、少し不気味にも感じました。訪れた目的は、米沢商会さんのお話しを聞くため、高台の仮店舗で合流後、今も残る建物へ移動しました。 実際の建物の中で聞く話は、報道で知るよりもリアルで、あの3階の屋上のさらに上、ほんの少しのスペースしかない煙突に登り助かったこと、亡くなった家族への想い、・・・聞いていて胸が詰まりました。お話の最後に、バックで駐車する、ガソリンは半分になったら満タンにするなど、助かるための行動についてお話しされていたことが耳に残っています。 なぜ、米沢さんが建物を残し、辛い経験を人に話すようになったのか、できるならば直接、現地で聞くことをお勧めします。 米沢さん、風が強く寒い中、お話を聞かせて頂きましてありがとうございました。 そして、再び気仙沼へ戻り、すがとよ酒店のお母さんから被災の体験と復興への思いを聞かせて頂きました。訪ねた場所は、既に撤去された共徳丸があった近くの展望スペースで、つらい体験をされながらも、お店の再建に前向きな姿を見てホッとした気持ちになりました。その後、酒店の仮店舗に立ち寄り、私は地酒を購入しました。 今思うと、一升瓶にすればよかったと後悔していますが、また買いに行く楽しみができました。 すがとよのお母さん、お話しとお土産ありがとうございました。お店の再建を楽しみにしています。 防潮堤の工事の様子を見て回った後、1日目の宿泊先である気仙沼プラザホテルにチェックイン。次の日に備えるべく、近所の居酒へ・・・?!

【2日目】 丁度この日は、水揚げがあるとのことで、朝早く魚市場を見学しました。競りにかけられるメカジキが一面に並ぶ光景は圧巻でした。奥のほうでは、ひたすらサメのヒレを切り取る人たち。それが加工されてフカヒレになるのだそうで、他の部位も余すことなく使われるそうです。次に魚市場の屋上へ移動すると、ここは津波から逃れた人々が避難し、迫りくる火の海に怯えるのを励ましあいながら一晩を過ごした場所なのだそうです。地盤沈下し相当なダメージを受けながら、再びこれほど多くの水揚げができるようになったことに、人々の底力の凄さを感じました。 見学の終了後、高台にある気仙沼図書館へ移動し、建替えのため本の引越しのお手伝いを行いました。訪れた時、寄贈させて頂いた移動図書館車の前で記念撮影後、作業を開始しました。 本は専用の布で乾拭きし、パラパラめくり風を通した後、陳列されていた順番通りに箱詰めを行います。私たちが作業を行った棚は、郷土資料でした。「唐桑御殿」の本があったり、小学校の教材と思われる地域資料など、時折手を止めて拝見しながら作業を進めました。この日の午前中、図書館では、屋外学習で訪れる保育園児を迎え入れるため、メンバーの半分が途中からそちらのお手伝いを行いました。 あっという間にお昼になり、魚市場近くのお寿司屋さんで昼食を頂きました。早朝にあれだけの魚を見たのですから食べない訳にはいかないですよね。 午後も、フェリーに乗る時間まで本のお引っ越しの手伝いを続け、この日の作業は終了しました。気仙沼港からフェリーに乗り、2-30分ほどで大島へ到着した頃、外はすでに暗く、そのまま明海荘さんへ移動しました。明海荘さんは、本プロジェクトではおなじみの宿泊先で、つい最近、リニューアル工事が終わり、民宿というよりも高級旅館のようでした。以前を知るメンバーの二人は、某局 ビフォアー○フターのごとく驚いていました。お楽しみの夕食は、ワカメのしゃぶしゃぶ、魚介おこわ、新鮮な魚介類、地元の方がお持ちになったお酒で、大変おいしく楽しく頂きました。 ちなみに私はこの時、別ミッションで、島の方からインターネットに関する相談を受けていまして、この記事を書いている今現在も対応が続いています。(早く解決できるといいのですが・・・)

【3日目】 前日、ワカメがあまりにも美味しかったので、「採りに行こう!」という事になり、メンバー二人が、少し早めに漁へ出発。残ったメンバーは朝食を食べて明海荘さんを後にしました。 明海荘のお父さん、お母さん、大変お世話になりました。色々お忙しい時期にもかかわらず、ありがとうございました。最終日は、カキ養殖をされているお家のお手伝いでした。この日の作業は、裏山の斜面の枝切れや下草集めで、平地なら何ともない作業ですが、急な斜面でしたので相当な体力を消耗しました。養殖場のお母さん曰く、昨年はサツキが下草に埋もれてよく見えなかったそうですので、今年は綺麗に咲いてくれるといいですね。 盛大に体を動かした後は、お楽しみの昼食タイムです。お弁当と自家製のホタテ貝の鍋、そして採れたて蒸したてのカキを頂きました。疲れた体に染みわたる最高のごちそうでした。ちょうど、お昼ご飯を食べ始めた時、漁に出ていた二人も合流し、昼食を共にしました。養殖場の皆様、ごちそうさまでした! ちなみに、こちらのヤマヨ水産さんでは、カキを直接お届けするオーナー制度を設けておられますので、ご興味のある方は、募集期間中に応募されては如何でしょうか。小休憩の後、大島で最も高い亀山へ向かいました。この日は、桜の植樹会が催されており、少しだけ顔を出させていただきました。山肌には、震災直後の山火事で焦げて切り倒された木株が点在し、そこに桜を植える活動をしているのだそうです。数年後、緑の合間に映える桜を見られることと思います。山頂からは、大島の日本百選に選ばれた海岸や、山火事の時に防火帯を築いた道路、住宅街、反対側の気仙沼や唐桑半島が一望でき、日常をすべて忘れさせてくれるような眺めでした。そして浦の浜港へ向かいフェリーを待っていると、私たちを見送りに大島でお世話になった方々が集まってきてくださいました。フェリーが出港すると、見えなくなるまで手を振り見送って頂きました。大島のみなさん、ありがとうございました。ちなみに、2018年に大島の人々の念願であった橋が完成する予定で、それに伴いフェリーは無くなってしまうそうです。 旅情の一幕とカモメたちの餌場が減ってしまいますね。気仙沼に戻ってきた後は、電車の時間まで1時間ほど自由時間がありましたので、お土産の購入や軽食を取ることができました。時刻は16時。私は駅弁よりも気仙沼で食べていこうと思い、お魚いちば内の食堂でマグロ丼を頂きました。メンバーそれぞれ思い思いに過ごした後、気仙沼駅からローカル線に揺られ、一ノ関駅から東京まで帰ってまいりました。 本当にあっという間の3日間でした。 
最後に、今回は4年経過する直前の時期に訪れたこともあり、報道機関による取材があちらこちらで見られました。忘れないことは大切ですが、そのためには、現地に足を運ぶことが一番ではないかと思います。 復興工事によって、まちの様子が刻々と変化しています。もしも、そこが自分の地元だったら、思い出もすべて流されてしまい、思い出すことが難しくなっていく中で、将来に何らかの不安を抱えながら生きていくことは、しんどいことと思います。そんな思いをされているのに、我々を温かく迎え入れてくださり、楽しく飲んで、昔からの知り合いのように話をしてくれる人たちがいるあの町を、私は、また訪れたいと思っています。最後の最後に、気仙沼の皆様、とくに気仙沼観光コンベンション協会の熊谷さん、米沢さん、菅原文子さん、明海荘のお父さん、お母さん、大島の皆様、本当にお世話になりました。これからも、よろしくお願いいたします。

活動年月日 2015年3月5日(木)~3月7日(土)