第59回SMILE PROJECTレポート

私にとっての3.11

当時大学3年生だった私は、仙台の中心部で今まで味わったことのない揺れを体験し、何かにつかまっていないと立っていられない中、施設の従業員の誘導の元建物の外に何とか出た。
それから電気が復旧する3日間、実家の愛知県の両親に連絡することもできず、避難所での生活をしました。
夜になると外は真っ暗闇の中、やたらと星がきれいだったのは忘れられません。
避難所生活から帰ってきてからは、友人と一緒に沿岸部の避難所に物資を届けることをしました。まだ津波の爪痕が残り、川の真ん中に家が取り残されている光景や、避難所になっていた小学校の1階が津波に飲まれて使い物にならない光景も目の当たりにした。

気仙沼市復興記念公園 犠牲者銘板

気仙沼市復興記念公園での犠牲者銘板。
犠牲者の方が住んでいた地区の方向に氏名が記されている。

まだ私は本当には震災に向き合えていない

就職を機に、東北の地を離れ、あれほど強烈なインパクトであった東日本大震災の記憶はいつしか頭から自然と離れていき、まるで何事もなかったかのように、毎日が過ぎ去っていきました。ニュースで流れてくる震災関係の報道は、見ると悲しくなってしまうので見ないようにしていました。そういった意味で、私は震災当日仙台に住んで避難所生活を経験していたのですが、まだ震災に正面から向き合えていないとどこかで感じていました。

スマイルプロジェクト

お世話になった東北の人の何かを手伝いたいと思い今回スマイルプロジェクトに参加させていただいた。
終わってみると自分の中ではそれ以上の大きな意味があったと思う。参加して本当に良かったと思いました。12年前の3月11日にどんなことがあったのか、実際に現地で、被災した方のお話を直に聞くことができて一生忘れない思い出になりました。
きっともし災害が自身の身に起きた時、今回の見聞きしたことがすぐに頭を過りきっと適切な行動がとれると思います。

なぜ、壮絶な思いをした震災を思い出すことを自らするのか

今回のスマイルプロジェクトでは、語り部の方お二人の話を聞かせていただきました。
一人は、震災で両親と弟は濁流にのまれて犠牲になり、自宅も流失された米沢さん。米沢さん自身は震災当時、ビルの屋上の煙突にのぼり、足元まで迫った津波を間一髪で逃れた。

ビルの屋上の風景

ビルの周りは一切建物がない状態。15mの津波がきて、煙突の上で難を逃れた。
遠くに海岸は見えるが、こんなところまで津波が襲ったというのは想像できない。

もう一人は、「すがとよ酒店」を営む菅原さん。義父母を失い、そして目の前でご主人が津波に流されるという衝撃的な体験を乗り越え、また気仙沼で家業の酒店を再開させるべく息子さんたちと共に立ち上げた方。

すがとよ酒店

「負げねえぞ気仙沼」と書かれたラベルのお酒を販売する「すがとよ酒店」

私はなぜ、聞くに耐え難いような経験のお話を語り部の方がするのか理解ができなかった。もし自分だったらそんなことはできないと思う。語ったあと、記憶が呼び起されてつらい時間をまた過ごすのではないか。
語り部の方も多くの葛藤があったと思う。では何のために語り部をしているのかというと私が思うに、自分自身のために、そして亡くした大切な人への償い、使命感からだと思う。
自らが体験したことを、他の人に伝え、二度と同じような被害にあわないため、こうした語り部の活動をされているのだと感じた。

桜ライン311

陸前高田市は、これまでも津波による被害に見舞われてきた地域でもありました。先人は石碑を建てて、過去の津波の脅威を伝承しようとしました。しかしながら、私たちはその思いを受け取ることができず、東日本大震災で多くの犠牲を生んでしまいました。
災害で大切な人たちを失ってしまった悲しみ。その悲しみを後世では繰り返さないために「ここまで津波が来た」ことを伝える桜を植樹しています。石碑よりも多くの方に覚え、愛していただける桜で東日本大震災の教訓を伝えている活動が桜ライン311です。

1000年に一度といわれる大津波の教訓をいかにして、経験したことない次の時代の人にどう、遺すのかという点で、私たちは津波を語り継ぐ役割を与えられたと代表の方はおっしゃっていました。
今回の活動は、以前スマイルプロジェクトで植樹した桜の木のメンテナンスということで、草刈り等を行いました。この活動を通して、継続的にボランティア活動をすることで、震災を思い出し、有事の際には今回のスマイルプロジェクトを通して学んだことを生かしたいと思いました。
まずはできるところから、防災マップや避難所を確認する、防災グッツを準備しておくなどしておきたいと思います。

桜の木のメンテナンスの様子

桜の木は人の手で育ててあげる必要がある。
いつかこの桜ラインが満開になり観光名所になることも復興の一つになることだろう。

3.11に再び向き合って

映像や報道を見ると、つらい思いや悲しくなるのが嫌で、あえて触れないようにしていましたが、今回ボランティア活動に参加させていただいて、再び3.11に向き合うことができたと思います。向き合ってみて改めて感じたことを書き記したいと思います。

語り部の方のお話を聞いても、被災者の悲しみや苦しみを自分のものにすることは決してできません。
だけど、あの時どんな場所にいたとしても、経験を語り継いでいくことはできる。どんな形であれ、この1000年に一度という時代に生きている私たちは、この教訓を次の世代に伝えていく必要があると思います。そういうことも今回のボランティア活動を通して、被災者の方々に教えてもらいました。
普段通りの日常に戻り、せわしない毎日を過ごしていると、あんなにもしっかりと覚えておこうとしたことも、どんどん頭の片隅に追いやられてしまいます。
それ自体は当たり前のことだと思います。ただ、1年に一度3月11日には、自分を守るため、大切な人を守るために今回体験したこと、感じたことに思いを馳せ、防災について考えて次の世代にバトンを繋いでいきたいと思いました。

集合写真

第59回SMILE PROJECT メンバー 塚本 泰正

■活動日程

1日目
‐気仙沼市復興祈念公園 見学
‐東日本大震災津波伝承館 見学
‐米沢商会 米沢祐一さん(語り部)
‐すがとよ酒店 菅原文子さん(語り部)
‐明海荘にて宿泊(気仙沼大島)

2日目
‐気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館見学
‐気仙沼図書館立ち寄り
‐桜ライン311 草刈り活動

活動年月日:2023年8月18日(金)~19日(土)
メンバー:11名

東日本大震災津波伝承館にある奇跡の一本松

東日本大震災津波伝承館にある奇跡の一本松

米沢商会のビル

米沢商会のビル

気仙沼図書館の移動図書館

気仙沼図書館の移動図書館

明海荘のワーキングスペース

明海荘のワーキングスペース

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校の3階)

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校の3階)