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- 第31回SMILE PROJECTレポート
みなさん、こんにちは。第31回スマイルプロジェクトについてセキュリティエキスパート本部の中村勇太がレポートさせて頂きます。
今までスマイルプロジェクトでは東日本大震災で被害を受けた宮城県気仙沼市での活動を引き続き実施してきましたが、今回は初めて平成28年熊本地震の復興支援活動をテーマとしました。トレンドマイクロには九州に縁のある社員も多く在籍しており、中には震災当日に熊本の実家で被災した者もいます。そのため4月の震災発生を受けて、「早くスマイルプロジェクトを熊本で実施しよう!!」という気運が社内で高まっていました。
今回のスマイルプロジェクトに参加したメンバーは東京本社、大阪営業所、福岡営業所の各拠点から総勢10名。現地で見たこと、体験したこと、感じたことを以下、報告します。
【1日目:現状視察 益城町~熊本城】
正午過ぎに到着する飛行機で阿蘇くまもと空港に降り立った後、レンタカーで益城町に向かいました。震災から半年が経過し、現地は今どのような状況にあるのかを自らの目で確認するためです。
益城町は車で空港から15分程度の場所に位置していて、高速のインターチェンジからも近く、アクセスの非常に良い場所です。とは言え、メンバーにしっかりとした土地勘があるわけでもなく、カーナビの案内を頼りに大通りから脇道に入り、さらには住宅街の方に進んでいきました。そこで様々な地震の爪痕を見ることになりました。
瓦が落ちた屋根を養生するブルーシートの群れ。
がれきが山のように積み上がった集積所。
道を行き交う重機。
2階への階段が崩落したアパート。
屋根が目線の高さまで押し潰れてしまった民家。
大破して無残な姿になった乗用車。
今でこそ報道で被災の様子が伝えられることが少なくなってしまったため、実は復興はだいぶ進んでいるのではないか?ボランティアは必要とされてないのではないか?という疑念を少なからず抱いていました。しかし、まだまだ悲惨な状態のまま様々なものが残されている現地を見て、依然として復興の途上であることを強く再認識しました。
次に熊本市内へ針路を取り、熊本城の様子を見に行きました。福岡出身の私は、震災前に幾度となく熊本城を訪れています。熊本城と言えば、武者返しの石垣の上に建つ壮大な天守閣、煌びやかな本丸御殿、お茶屋さんと広場の賑わい、どれを取っても観光地のお手本のような素晴らしい場所でした。
城内には全く入れないというので、隣接している市役所の14階から遠目に視察しました。シャチホコが失われた天守閣や崩壊した石垣は震災発生当初に報道で見た姿のまま。ひっそりと静まり返った城内の妙な雰囲気は、人で溢れかえっていた頃を知っていると一層の違和感を覚えました。
再建には多額の費用が必要とのことですが、またいつか元気な姿の熊本城を見ることができれば、とても素敵なことだと思います。
【補足:ボランティアセンターについて】
2、3日目のボランティア活動について報告する前に、今回お世話になったボランティアセンターについて補足させて頂きます。ボランティアセンターは益城町、西原村のそれぞれで独自運営されており、共に各町村の社会福祉協議会が主体となって活動されています。
ボランティアセンターでは、被災者からのボランティアのニーズ受付と各地からボランティア応募に来た団体・個人の方とのマッチングを一手に担っており、必要に応じて機材や軽トラックなどの運搬車両の貸出も行っています。非常にスムーズな運営で、初めて行った私達も安心して活動することができました。この場を借りて御礼申し上げます。
【2日目:ボランティア活動 益城町】
益城町のボランティアセンターは地元企業様の私営グラウンドにテントやプレハブを建てる形で設営されています。早朝から100名以上のボランティア応募者が集まりました。私達10名がマッチングされた案件は半壊認定を受けた個人宅の荷物整理。他で来ていた団体・個人の方々と合流し、総勢20名で現場に向かいました。
現場は年配男性の家主さんが1人で住まわれている2階建ての家で、今後も壊れた部分を修繕して住み続ける予定だ、とのお話でした。一見、外壁は大きな被害を受けているようには見えませんでした(それでも細かいひび割れ等はありました)が、中は足の踏み場もないくらい物で溢れていたり、到底1人では起こすことのできない大きなクローゼットが横倒しになっていたり、食器や洗剤が散々に割れ飛び散っていたり…と住むには困難な有様になっていました。
20人を1階片付けメンバー、2階片付けメンバー、玄関先でゴミを仕分けするメンバー、ゴミを集積所に運搬するメンバーとチーム分けして作業開始。使えそうにない物、壊れた物は家主さんの許可を貰って次々と土嚢袋に詰め込み、玄関先に送り出していきます。片付けしていく物の中には家主さんの長年の暮らしの思い出――写真の詰まったアルバム、子供の卒業記念の賞状、胎内エコー写真(!)――も含まれており、それらは整理して別の場所に置いておきます。正直、災害ボランティア活動というと屋外のがれき撤去のような作業をイメージしていたので、このような心に響く物品を手に取ることになるとは想像もしていませんでした。
午後に入り、外は雨が強くなっていく中、片付けの甲斐あって物に埋もれていた床が露わになり、次第に部屋が広々としていきました。ボランティアの運営ルールで、16時までにはボランティアセンターに戻り、活動報告を済ませる必要があります。この日のうちに、片付けてしまいたい。そのような思いで一心不乱に片付けを続け、なんとか最後のトラックを時間内に集積場に送り出すことができました。その頃には雨はザアザア降り。タイミング良かったねとメンバー同士で労を称え合っている中で、メンバーひとりひとりに御礼の言葉をかけてくれた家主さんの笑顔が忘れられません。
【3日目:ボランティア活動 西原村】
3日目も早朝からボランティアセンターに向かいました。西原村のボランティアセンターはデイケア施設の駐車場の一部にテントを張って設営されています。この日も私達10名は同じボランティア案件で作業する――はずだったのですが、急遽他案件との人数調整があり、私含む2名は福岡から来られた別企業様の団体と共に活動することになりました。案件の内容は2日目と同じく個人宅の整理。しかし、こちらは全壊認定を受けており、片付けではなく建屋解体前の荷出しと言った方がイメージに合っています。
現地につくと偶然にも、2日目の益城町の活動で一緒のチームだった長期ボランティアの方(通称:イチバンさん)が音頭を取っておられたので、今日もよろしくお願いします、と互いに笑顔で挨拶して作業スタート。2日目と同じように、屋内で片付けをするチームと屋外で仕分け運搬をするチームに分かれて動き始めました。
この家の家主さんは50代くらいのご夫婦。建築業を営まれているということで母屋と隣接して大きな納屋も建っていました。納屋の方には仕事で使う大量の木材が山積み…と、思っていたら雨の浸水などで使えなくなってしまったので、使えるものは残して、ほとんどは廃材として捨てるのだと言われました。今日は力仕事だ、と気合が入ります。納屋の片付けが終わるころには、1台目のトラックが廃材で一杯になっていました。
納屋が終わった後は、母屋の片付け。母屋は昭和の初期に建てられたような立派な日本家屋。中が物に溢れていたのは2日目と同じでしたが、こちらでは貴重品や思い出の品は事前に家主さんが運び出してくれていたので、溢れているものをただひたすらに土嚢袋に詰めていく作業になりました。ただ、詰めていく物も建屋の歴史に比例していて…足踏み式の機織り機や先の方からお湯を入れるタイプの鉄アイロン等、資料館に展示されているような物が数々出てきました。家主さんも代々住まわれている家で、中の全ての物を把握されているわけではなかったので、物が出てくるたびにメンバーと一緒に感心するような盛り上がりでした。
作業の休憩の合間に家主さんに被災した当時の話を伺うことができました。近所の人と声掛けあって避難したこと、避難する車で道が混雑して焦ったこと、本震後の後揺れのたびに奥様にパニックのような症状が現れていたこと…
昼過ぎに雨が本降りになったものの、片付けが終わる頃には小康状態。とはいえ舗装されていない玄関先の足場は既にぐちゃぐちゃ。メンバーは全員泥と埃と汗と筋肉痛に塗れていました。でもこの日も帰りは家主さんが満面の笑顔で送り出してくれました。
たった2日間ではありますが、人の温かさと一緒に作業したメンバーとの達成感に溢れたボランティア活動となりました。
【おわりに】
熊本地震は報道も少なくなり、現地の状況が伝わりにくくなってきていますが、震災から半年が経った今でも未だに復興途上であること、人の助けを必要としていることを改めて身を以て体感することができました。東京に戻った後、今回のスマイルプロジェクトに参加したメンバーで振り返りを実施したところ、今後も熊本の支援を続けていきたい!という思いで全員一致しました。離れた東京の地からではありますが、被災地のいち早い復興を心から願っています。
活動年月日: 2016年10月20日(木)~10月22日(土)