第58回SMILE PROJECTレポート

2023年3月11日に気仙沼・大島の海岸(小田の浜)で、スマイルプロジェクトのメンバー揃って黙とうをしました。

小田の浜で。黙とうしました。

3月11日にスマイルプロジェクトメンバーが気仙沼市・陸前高田市を訪れるのは初めてです。
余談ですが、同日夜には陸前高田市の出身の佐々木朗希投手がWBC(チェコ戦)で登板、8三振を奪う記録と記憶に残った日となりました。

現地を訪れ、以下3点について感じたことを記載します。
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1.災害遺構で感じたこと:津波の恐ろしさを改めて認識。
2.桜ライン311:70年後に災害を経験したがいなくなる伝承の課題を知りました。
3.語り部さんのお話:これからを見据えた力強さを感じました。
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1.気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の旧校舎の4階(当時の津波は4階まで到達)と、陸前高田市の災害遺構として残存する米沢商会の旧建屋の2ヵ所を見学、津波到達点に立つ体験をしました。津波の高さについては情報を得ていましたが、実際に自分の足で津波到達点に立っても、その高さまで津波が遡上し一面が真っ黒な水に覆われていたことを想像することができませんでした。当時、雪が降る中、救助されるまで屋上で過ごしたこと、ご家族を失った壮絶な体験談を初めて聞いた私にとっては身につまされる思いでした。
現在は嵩上げされた場所は復興が進み、公共の施設が並び、店舗や公園などがある新市街地となっています。なお災害遺構の米沢商会の旧建屋がある地域は、災害危険区域として住宅の建設は禁止されているとのことでした。

「自分の足元から下は一面の黒い水だった。」と米沢商会の米沢さんは教えてくださいました。

災害遺構の米沢商会の旧建屋の屋上から撮影した写真。この屋上も津波で覆われていたとは、いまだに信じがたい。

2.桜ライン311とは、陸前高田市の津波到達点上に桜を植樹し、震災を後世に伝える為のプロジェクトです。語り部さんからは、地震後に津波に襲われるとは考えていなかったと口をそろえてお話されていました。しかし、陸前高田市は120年前にも地震があり津波に襲われたことがあり、この高さまで津波がくることを伝える石碑も残っていたそうです。その事実を後世に伝えることの難しさ、そして70年後には東日本大震災を経験した人がいなくなるため、「伝承の課題」があることを知りました。
100年後でも1年後でも自分の大切な人を守るために、次の世代にもシンプルかつ、わかりやすいメッセージとなるのが「桜ライン」です。

津波がくるときは、桜ラインよりも高い場所へ避難する。

桜の木であれば、年に1度は目にするはず。伝承の課題の解決策の1つになりえる桜の植樹に携わることができ嬉しい限りです。次回この地を訪れる際には、自分が植樹した桜の木を見に戻ってきたいです。

今回、植樹した桜の木。
プロの方が植樹しても1割は枯れてしまうとのこと。枯れないで毎年花を咲かせてほしい。

3.語り部さんたちのお話を聞く中で、語り部さん自身の思いが変化されているのではないかと思うことがありました。それは、当時は「生かされている」と感じながら生きていたが、12年の月日が経過して、「時間が治療してくれた。」とお話してくれたこと。中には、「ようやく嫌なことは思い出さなくなった。」と語ってくれる方もいました。また生かされているのではなく、未来を見据えて今を生きている。新しいことに取り組んでいく(取り組んでいる)。との強い気持ち、決意もあわせてお伝えていただいた、前向きな印象を受けました。

さいごに
私は現在愛知県に住んでいますが、今回の参加で私には、今後起こるかもしれない地震や災害に対して怖がりすぎることなく適度に関心を持ち、大切な人の命を守れるように考え、備えることの重要性を改めて考える機会となりました。

また桜の植樹や、現地の皆さんの未来を見据えた活動を支援するスマイルプロジェクトを通じて、引き続き皆さんと交流を深めていきたいです。今回も皆さんとともに語り、同じ時間を過ごし、寄り添い、お互いの理解を深めることができたと感じています。そして、語り部の皆さんのお話を各々周囲の人たちへ伝えることが、スマイルプロジェクトに参加したメンバーの役目でもあるため、機会があることに小さな語り部として役目を果たしていきたいと思います。

第58回SMILE PROJECT メンバー 櫻井英人

■活動日程
1日目
‐米沢商会 米沢祐一さん(語り部)
‐すがとよ酒店 菅原文子さん(語り部)

2日目
‐気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館見学
‐桜ライン311 桜の植樹

3日目
‐明海荘にてボランティア活動
‐14:46 気仙沼・大島の海岸(小田の浜)で黙とう

活動年月日:2023年3月9日(木)~11日(土)