第52回SMILE PROJECTレポート

▼その日の記憶

3.11が起きたとき、私は関東の学校に通う中学2年生だった。体育館でバスケットボールをしていたが、古い建物だったため轟々と音を立てて揺れ、実際の震度以上に恐れを感じたのを覚えている。

教室に戻ると、ブラウン管の小さな画面に、東北の惨状が映っていた。見たこともない量の水が、家々を地面から引き剥がし飲み込んでいた。
「俺のばあちゃん、東北に住んでんだ」
クラスメートのその一言で、想像よりとても大変なことが起こっているのだと理解した。そのときに教室に走った緊張感が、何よりも生々しい私の震災の記憶だ。

▼伝承館

「とにかく命が大事。命を守ることだけ考える。他のことはなんとかなる」
語り部として伝承館を案内くださった小野寺さんは、何度もそう繰り返した。

「津波で船を失った人も、援助を受けてまた船を持てている。でも命だけはどうにもならん。とにかく命が大事」
これだけ力強く語るのは、それだけ、何かを守ろうとして命を落とした人が多かったからなのだろう。
東京も、首都直下型地震がくると言われて久しい。いざというとき、私はすぐに逃げられるだろうか。

伝承館の一階。泥にまみれた教室を見ると、ガラスの無くなった窓の奥には新設されたパターゴルフ場が覗いている。目の前の惨状とのギャップに衝撃を覚えたが、パターゴルフ場は賑わっており、プレイする人からは笑顔が伺えた。賛否はあるのかもしれないが、何気ない平和が鮮烈に感じられる光景だった。

 ▼すがとよ酒店

すがとよ酒店は、新しい建物が立ち並ぶ港からほど近いところにあった。例に漏れず、この店舗も見た目から新しい。一見、新しい建物というのは気分が上がりそうになるが、ここでは新しい街並みというのは、津波でそれまでのものがすべて流されてしまったことを意味している。この場所では、そういった一種の注意深さを忘れてはならない。

すがとよ酒店の三代目女将である菅原文子さんが、店舗の二階にあるイベントスペースでいろいろな話をしてくださった。

震災から10年が経っても、地域コミュニティが復活せず回覧板も回せないこと。以前はお祭りや運動会でまちに活気があったこと。公営住宅に住む老齢の方が、「生きていてもいいことない」とこぼしていたこと。イベントスペースで地域の人の交流の場を提供していたが、コロナでそれも難しくなってしまったこと。そのお話からは、形を整えるだけでは終わらない復興の難しさや、いまだに傷つき続けている方々がいることが伺えた。

 ただそれに加えて、菅原さんはお店を再開するまでのことも話してくださった。

地震の後の津波でお店が流され、ご主人を亡くされた菅原さんは、それでもテントとプレハブでお店を再開し、現在は瓦屋根の立派な店舗を構えている。元のお店があった「鹿折」の地に戻ることを目標に、プレハブのお店で営業を続けてきたそうだ。そして今は、店舗の2階にあるイベントスペースを利用して、地域を盛り上げていきたいと考えているという。

菅原さんのお話を聞いて、辛くても泣いても下を向いても、それでも前に歩き続けてきたから今があるのだろうと感じた。私はボランティアで気仙沼に来たはずだったが、気付けばそこで頑張る方々から、ひたむきさと勇気をもらっていた。

▼明海荘

さて、ここまで語り部さん方からいろいろなことを学ばせていただいたが、私たちが気仙沼大島まで来たのはボランティアのためである。今回のボランティアの内容は、明海荘さんでのリモートワークプランの提案だった。

コロナ禍以降、当社ではリモートワークが日常となっていた。そのために使われなくなったオフィスの机や椅子、棚などの什器を、少し前に明海荘さんに寄贈させていただいていた。今回は日ごろのリモートワークで得た知見と寄贈した什器を活かし、明海荘さんで提供できるリモートワークプランを提案するというのがボランティアの内容だった。

 1日目、2日目と話し合い出た結論は、震災というキーワードと、企業向けの若手への研修プランだった。話し合いの中で何度も出てきたのが、「敢えて気仙沼に来るとしたら、その理由はなにか」だった。東京や大阪などの都心からのアクセスがあまりよくない中、それでも気仙沼に来る理由。それは、やはり震災を経験した土地であるという結論だった。震災の記憶を持つこの土地では、命の大切さや正しく生きるということ。そんな日常生活では陳腐化してしまった言葉を、とても身近に感じることができた。企業で行われる新卒や若手の研修では、ハードスキルの他にも、そういった倫理観などを育てることも重要視される。宿泊施設である明海荘では、そういった研修を泊まり込みで行うことができると考えた。今回は提案と、場を少し整えることまでしかできなかったが、村上さんご夫婦はこの提案を好意的に受け止めてくださった。本格的な場づくりは、次回以降のスマイルプロジェクトメンバーに引き継ぐことになった。

▼明海荘 ご夫婦の話

明海荘を経営される村上さんご夫婦の話で印象的だったのが、「お客さんにやさしい宿にしたい」というお話だった。以前、盲目や弱視の方が団体で宿泊されたとき、宿泊客のお一人が「以前明海荘に来たことがあり、また是非来たいと思っていた。来れてよかった」と話されたそうだ。だが今の明海荘は、いわゆるユニバーサルデザインにはなっていない。薪ストーブのあるロビーは温かみを感じられるし、畳の部屋は情緒があるが、階段や段差も目立つ。

そんな明海荘を、もっとお客さんにやさしい宿にしたいのだという。
「まだ若いから、夢を持ってもいいかなと思って」
女将であるかよさんは、そう言ってほほ笑んだ。

▼続けるということ、次につなぐということ

それはこのボランティアで、とても大事なことなのだと私が感じたことの1つだった。
気仙沼観光コンベンション協会の熊谷さんは当社のこの活動を、「続けているんだから、きれいごとじゃない」と言ってくださった。
私たち52期が明海荘さんにさせていただいた提案は、53期以降のスマイルプロジェクト参加者が引き継いでいく。そうやって次に繋いで、続けていく。
小野寺さんは伝承館で語り部をすることで震災の体験を、震災を知らない人へ、そして次の世代へつなごうとしている。明海荘では、いずれご夫婦の息子さんが宿を継ぐそうだ。
そして震災を経験した気仙沼も、その傷を背負って続いていく。
傷ついたことも、そのあと立ち上がり復興に向かって歩いてきたことも、そのすべてを明日へとつないでいく。

▼終わりに

東京から来た私たちに話を聞かせてくれた方の中には、夢を持っていらっしゃる方がとても多かった印象でした。地域を盛り上げていきたいと仰った菅原さんや、お客様にやさしい宿にしたいと笑った村上さんご夫婦もその中の一人でした。
そういった方々を応援したいと被災地に行ったはずなのに、話を聞くうちに、気がつけば私が前向きな気持ちを分けてもらっていました。

最後に、温かく迎えていただいた気仙沼観光コンベンション協会の熊谷さん、伝承館でお世話になった小野寺さん、すがとよ酒店の菅原文子さん、明海荘の村上敬士さん、かよさん、大島の皆さま、気仙沼市の皆さま、本当にお世話になりました。

また私も、スマイルプロジェクトに参加したいと考えています。そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

<活動概要>
日程:2021年10月14日、15日
人数:7名(+リモート参加1名)
目的:気仙沼大島 旅館明海荘でのリモートワークプランの提案

<活動日程>
・一日目
バスの中で気仙沼大島の当時の様子をビデオで勉強
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館見学(語り部:小野寺晟一郎さん)
すがとよ酒店(語り部:菅原文子さん)
大島にある明海荘へ

・二日目
明海荘にてリモートワーク提案
一ノ関駅より帰路につく

活動年月日:2021年10月14日(木)~15日(金)