第37回SMILE PROJECTレポート

第37回Smile Projectは、今年4月に入社した新入社員の研修プログラムとして、宮城県 荒浜・気仙沼・陸前高田にお邪魔いたしました。
今回のレポートは、営業の日野、エンジニアの川口がお届けいたします。

【一日目】
■荒浜小学校見学

行きのバスでは笑顔や活気に溢れていた私たちでしたが、到着して間もなく言葉を失いました。荒浜小学校含め周辺地域の被害の大きさは想像を超えており、今現在も残る瓦礫や木々の散らばりから当時の惨状がうかがい知れました。
校内をガイドしてくださった高山さんは、幼少期から荒浜に暮らしている地元の方でした。「同じ被害が起きないように、この教訓を多くの人に伝えたい」という想いでガイドをされている姿、地元の人間として、町の復興を強く願っている姿がとてもかっこよかったです。

■女川町にて厨さんのお話
厨さんの考える復興支援は、数年、数十年も先を見据えていました。
被災地に対し支援金・物的支援を送ることは、どうしても一時的なものになりがちです。「継続的に町に貢献できるビジネスとは何か」という観点を持ちながら、被災地を中心とした全国区ビジネスを展開していこうと構想されている厨さんのお話に、一同釘づけでした。
復興支援として伺っていながらも、ビジネスの勉強までさせて頂き大変貴重な経験でした。

■大川小学校見学
大川小学校への道中、バスの中で大川小学校の当時と現在の問題を新卒社員一同で共有しました。被害の大きさや行動を知る中で「なぜ被災者は避難ができなかったのだろう」という疑問が生まれ、現場へ到着しました。
到着して間も無く、辺りの静けさに驚かされました。街灯1つない、新しく建設された建物さえ見当たらない、ただただ大川小学校だけが夕焼けに微かに照らされる空間でした。
当時の惨状がどれだけ恐ろしいものだったのか、校舎を見れば一目瞭然です。「なぜ被災者は避難ができなかったのだろう」という疑問は、その惨状を目の前にした瞬間スッとなくなりました。とても冷静な判断が取れる環境だとは思えません。写真や言葉だけでは読み取れない、「その場にいて初めてわかること」を見つけた時間でした。

【二日目】
■KRA 捜索活動
この日 12/11 は震災から 6 年 9 ヶ月が経過した月命日ということで、海岸にて捜索活動を行いました。
この活動は KRA (気仙沼復興協会) 様が主催なさっているものです。
捜索活動を行う前に KRA 職員の方からご説明があり、気仙沼はハード面から見れば、ある程度復興している面があるものの、ソフト面から見ると 2017 年 3 月現在でも 200 人以上の方がいまだに行方不明のままであり、捜索活動は継続しなければならないという話をお聞きしました。
それまで私はただなんとなく何か見つかれば良いな、と漠然とした考えでいましたが、そのお話を聞いて、
「親しい人が行方不明のまま悲しんでいる方がまだまだたくさんいるのだ、一つでも多くの手がかりを見つけなければ。。。」
と気持ちが引き締まったことを覚えています。
海岸に到着して熊手を持ち、いざ捜索を始めてみると、これは想像以上に肉体に負荷がかかる作業でした。
外の気温は 10℃ ほどでしたが、すぐに全身汗だくになり、上着を脱いで捜索を続けること 2 時間、果たして手がかりは見つかりませんでした。
この活動を 1 人の人間が個人で何日も連続して行うのはとても難しく、多くのボランティアの協力が不可欠であることを痛感しました。
行方不明の方々が見つかるまでの遠い道のりに思いを馳せつつ、やるせない気持ちで海岸を後にしました。

■ヤマヨ水産様訪問
大島にてカキの養殖業を営んでいるヤマヨ水産様を訪問しました。
船に乗せていただき、カキの養殖棚の上を歩くという貴重な経験をさせていただきました。
陸に戻った後は採れたてのカキの塩茹でをごちそうになりましたが、言うまでもなく美味しいカキで、カキ好きにはたまらない行程であったと言えます。
夜はヤマヨ水産代表の小松さんのお話を全員でお聞きしました。
もともと営業職のサラリーマンで、途中やむを得ない事情でご実家に戻りカキの養殖をすることになった小松さんにとって、震災で全てを失った時は、カキ養殖業の継続もサラリーマンへの復帰もどちらも可能な条件が整ったタイミングであったと言います。
しかし当時お子さんも 1 人産まれていた小松さんにとって、夜遅くまで仕事に追われるサラリーマンよりも自分の時間の自由がきく一次生産者としての事業を立て直す方が幸せだろうと考え、今に至るということでした。
自分の幸せを犠牲にして仕事をするのは人生がもったいない、という小松さんの仕事観・人生観は、その場にいた私たち全員がこれからについて考えるきっかけとなったのではないかと思います。

【三日目】
■タブレット教室

「デジタルライフの変化をiPadで体感してもらい、それらを安全に楽しむためのセキュリティを紹介する」というテーマで、合計12人の現地の方々にご参加いただきました。
「タブレットは持ってるけど、使い方があまり…」と仰っていた方々が多かった印象ですが、途中あちこちから「お~!」という声が聞こえ、時間を忘れるほどに皆さんがタブレットを楽しんでいる姿が印象的でした。
「デジタルインフォメーションを守る」というミッションを掲げる我々ですが、それよりも先に「デジタルインフォメーションを楽しんでもらう」ことを忘れずに、今後の仕事に生かせればなあと気づかされた2時間でした。

■米沢商会語り部
津波に襲われ、ビルの煙突に登って奇跡的に助かった米沢さんのお話を、今も実際に残っているそのビルの中でお聞きしました。
震災当日、米沢さんは直前まで津波に気づかず、お店の入ったビルの片付けをしながら 2 階に上がって窓の外を眺めたときに、すぐ近くまで津波がやってきていることに初めて気がついたといいます。
慌てて屋上へ駆け上り、さらに煙突の上に登ろうとしたところで津波が屋上まで流れ込み、最終的に米沢さんの足元ぎりぎりまで津波が迫りましたが奇跡的にそれ以上水位が上がらず、津波に飲み込まれずに助かったということです。
震災当日は雪の降る非常に寒い日でしたが、水位が少し下がったあとの屋上に残されたビニール袋や段ボールを防寒具として体にまとって一晩を過ごし、翌日米沢さんは無事に救助されました。
私達がお話を伺ったときは偶然、気温が下がって雪も降っており、その中で米沢さんの軌跡を追体験しながらビルの煙突の上に登ることになりました。
凍えるように寒く、信じがたいほどの高さまで見渡す限り津波に襲われるという壮絶な状況が、圧倒的な現実感をもって私たち全員にのしかかってきたのです。
「津波は怖い。私が伝えることで 1 人でも多くの人が津波から助かってほしい。」と語る米沢さんの言葉は、強い説得力をもって私たちの胸に残りました。

■すがとよ酒店語り部(創業100年)
津波によって壊滅的な被害を受けたすがとよ酒店様のお話を、開店 1 周年を迎える新店舗にて伺いました。
震災でご両親とご主人を亡くしたおかみさんの、それでも店を守ってやっていくと決めてから店ができるまで5 年 9 ヶ月がじれったくて一番しんどい時期だったとお話しされる姿、「負げねえぞ」という気概を持ってやってきたと語る姿は言葉の裏にある大変な苦労を想像させるものでした。
綺麗になったお店がまた何代も続くようにと、私たちも願わずにはいられません。
帰りの新幹線で飲むためのお酒を皆で購入し、美味しく味わいながら帰路につきました。

【最後に】
スマイルプロジェクトは「被災地に笑顔を届けたい!」というスローガンのもと行われていますが、今回私たちがお会いした方々は私たちの何倍も笑顔が素敵で、パワーに溢れていました。
被災地支援という枠を超えた、トレンドマイクロと現地の方々とのつながりを深めていくという意味での活動をこれからも続けていけたらと思います。
最後になりますが、今回も多くの皆さまにお世話になりました。ありがとうございました。

活動年月日:2017年12月10日(日)~12月12日(火)