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第30回目となるウイルスバスター スマイルプロジェクト。あの東日本大震災から5年と半年を経た月命日を前に、今回は、部門研修としてIoT事業推進本部全員と、サポートしてくださった人事の細川さん、秘書室の進藤さんを合わせ総勢19名で気仙沼・気仙沼大島での支援活動に参加させていただきました。ビジネス開発推進部の越智辰夫がレポートさせていただきます。
第一日目9月8日(木)
東京駅7:16発のはやて11号で、東京駅、上野駅、大宮駅とそれぞれの乗車駅で新幹線車内にて全員集合。一人も遅刻することなく・・・いやぁ、正直、自分は間に合うと思っていませんでした。思えば台風10号が関東に接近中で、どうなることやらと心配していた出発当日、ダイヤの乱れも無く来られたのは、よほど皆の運が良かったのか、それとも肝いりの晴れ女である進藤さんのおかげでしょうか…。一ノ関駅から気仙沼へは大上観光バスで移動しました。
【安波山(あんばさん)から気仙沼市内を一望】 気仙沼へ向かう道中、バスで地震のときの被害のビデオを観てやや重い気持ちになった後、立ち寄ったのが安波山です。大上観光バス運転手の尾形さんから、「気仙沼は大島があるので大きな波から守られている。しかし一旦津波が来てしまうと湾を進むにつれ高波になってしまう。チリ地震の時も大丈夫だったし、ということで逃げ遅れたお年寄りが多かった。」というお話を伺いました。ここから見ると、確かに大島に守られた内湾地区は土地区画整理事業が進み、復興に向けて比較的普段の生活が戻っているかのように感じられたのですが、後で市街に降りて、今もなお仮設店舗で経営する多くの方々の生活を見ると、復興が思うようには進んでいないことを感じました。現在も220名以上の方々が行方不明といいます。多くの御霊がこの湾内に眠るのだろうと思うと、ビデオのシーンが脳裏によみがえってきて辛い気持ちになりました。
【魚市場 南気仙沼エリアへ】思ったよりスムーズに移動が進んだという事で、気仙沼ホテル観洋へ向かう前に、魚市場のある南気仙沼エリアへ、建設中の5メートル超の防潮堤を視察。景色が見えなくなるということで、覗き窓が設けられてはいるのですが、確かにこれだけ高い防潮堤は圧迫感があります。しかも、まだ建設途上で一部が出来たばかり。万一、今ふたたび津波に襲われた場合には効力はないと思われ…。9月3日付けの日経新聞によれば、宮城県内で276か所で計画されている防潮堤のうち、工事が終わったのは60カ所余りにとどまる、ということでした。数カ所については地域に住む人と建設に向けた合意ができていないとも報じられており、景観を守りたいという気持ちとの両立の難しさを感じました。
【陸前高田市へ】 気仙沼ホテル観洋で、案内役となってくださった観光コンベンション協会熊谷さんと合流。ご当地の絶品お刺身定食をいただいた後、午後、再びバスにて陸前高田へ移動。この後、私たちは熊谷さんがおっしゃっていた「津波の被害が土地によって異なっていたことはもちろんありますが、復興に対する進め方、市制の状況も地域によって大きな違いがあります」という言葉の意味を目の当たりにすることになりました。
現在、陸前高田では、市全体が大規模なかさ上げ工事の最中になっています。一般の方の立ち入りは制限されており、区画内に入るには許可が必要で、ヘルメット着用が前提となります。語り部の米沢さんとは現地集合ということで、われわれは国道45号線沿い高田松原にある道の駅跡へとまず向かいました。
廃墟となった道の駅の一番高い壁面には、この高さまで津波がきたという目印が付けられています。誰もがその高さに圧倒され言葉を失います。陸前高田市を襲った津波の高さは最大17m。震災から5年が経ちますが、すべてが津波で廃墟となり、がれきが撤去された今は、見渡す限り盛り土の整備地となりました。今まで模型でしか見たことがなかった大型の特殊車両、ダンプやブルドーザーが行き交う、まるで埋立地のような風景です。しかし、道の駅で体感したあの津波の高さからすると、このかさ上げでも大丈夫なのかと懐疑的にならざるを得ませんでした。実際、市街地となる区画はさらに高い側になり、この海に面した土地は一帯が生活圏とはならない整備地となるということです。
熊谷さんによれば、「道路もあっちこっちに付け替えているので、昨日通れたところが今日は通れないとか普通にある」とのこと。盛土に囲まれた土地を抜けたところで、米沢さんが待ってくださっていました。建設会社の方々立会いのもとヘルメットを装着。3階建ての米沢商会のビルは、遺構のようにそこに残されています。「この店舗からまっすぐ行った国道沿いに市役所があり、裏手にまっすぐ行ったところには市民会館があった」、と説明されて初めて、この場所は、人々が生活していた市街地の真っただ中だったのだということに気づかされます。
【語り部 米沢さんのお話をうかがって】米沢さんの壮絶な体験をお伺いして、正直、私には想像を超えていてなんと言っていいか言葉になりませんでした。しかし、あまりに平和な日常と災害発生時の非常事態が、米沢さんが経験されたように隣り合わせであるということを忘れてはならないと強く感じました。米沢さんが、旧米沢商会の建物の前で私達に、付け加えておっしゃられていたこと、それは、「車を停めるときには頭から入れずにバックで入れて何かあったらすぐに逃げることができるように気を付けてください。」ということでした。「いざというときに、その差だけで逃げることが間に合わず命を落とされた方がいます」と。
震災以前と震災以降では何か周囲も自分も変わったと思います。それまでは、“明日”は“今日”の延長線上にあると思っていました。けれども今は、日常はずっと続くものとは限らない、いざとなったら自分で自分を守るしかない。と感じる事が多くなったように思います。
気仙沼に向けて帰るバスで、テレビ局が取材放映した米沢祐一さんについての震災特集を視ました。米沢さんが、必死で逃げ登った煙突から、あの日携帯で撮った眼前の激しく揺れる津波の映像。そして、画面から米沢さんの亡くなったご両親と弟さんの写真を始めて拝見した時に、僕は涙が止まりませんでした。
【夜の部 ぴんぽん】 その居酒屋さんは、バスの運転手 尾形さんが、「この辺りは震災前、漁師町の盛り場として結構賑やかだったんですよ。」と教えてくれた港町界隈にあります。地元の方々で賑わっていて、大島で大変お世話になった、タッカさんと、小野寺さんとも、ここで合流しました。両国や男山の地場のお酒をいただきながら、珍味である「もうかざめの心臓」や絶品のホヤに舌鼓を打ちました。変わった名前のメニューがいろいろあり、ここには書けません。「ぴんぽん」の後、三々五々、二次会へ。私は某パブで、普段は聞けない真面目なメンバーのカラオケ熱唱を聴くことになったのでした。
(宿泊:気仙沼ホテル観洋 )
第二日目9月9日(金)
【すがとよ酒店】 すがとよ酒店で私たちが今回お手伝いさせていただいたのは草引きでした。スマイルプロジェクトで訪れるたびに、温かく私達を迎えてくださる女将の菅原文子さんから、語り部として震災のときの体験をうかがいました。仮設店舗での営業も今年限り。このお店も道路拡張にともない取り壊しが決まっていて更地にして還さなくてはならないそうです。あと約2か月後には新しい本店舗での営業再開となるということで、実はお引越しの手伝いということも予想していたのですが、今回は更地に還すためのお手伝いとして隣地の草引き作業を行いました。隣地にも既に重機が入って解体が始まっていて、私達が大きな石などがあって苦労しているのを見ると、でっかいパワーショベル車が仕事の合間に「プロの技」で手伝ってくださいました。おぉ、これぞ「神の手」草引きの合間、休憩のお茶をご馳走になりながら、女将さんから最近のお話しも伺いました。行政側の復興事業の進め方と、日々の生活を軌道に乗せたいと被災後ずっと頑張ってこられた方々、それぞれのペースのずれや、吸収しきれない事情の違いは、やはりあるようでした。震災後、フェリーから見える海寄りの場所にお店を再建された、焼き魚で有名なお店 『福よし』さんは、巨大な防潮堤や整地などによる立ち退きが決まり、御主人が仮店舗では納得いかないと今年一杯で一年休業されることを決めたといいます。
お昼は歩いて5分ほどの仮店舗の食堂街にある「とんかつ勝ちゃん」でヒレカツ定食をいただきました。その間、同僚は、あのパワーショベルがよほど印象に残ったのか、「喰いっぱぐれが無いようにするには特殊車両の免許をとるべきだ!」と、主張しておりました。あ~、確かに昨日の陸前高田で、本日の流れとなるとそういう発想になるか…。BCP対策はキャリアの世界にも必要な風潮となってしまったのかもしれません。
午後も引き続き、除草作業、今度は駐車場スペースもやって、最終的に採れた雑草は大きなゴミ袋に20袋は超えていたと思います。
「もし何もなかったらこんなに色々な方とも出会う機会はなかったと思う。」と、菅原さん、「気仙沼には大学が無いためボランティア等で若い人が来てくれたり、時には教授が来てくれたりするのも嬉しい」とおっしゃっていました。仕事を終えて、ご挨拶戴いた際に、すがとよ酒店の看板銘柄となった「負げねえぞ気仙沼」の言葉とおり、ご自身も頑張られるので「どうか3年後、5年後、また気仙沼を訪れて、きれいになったお店にも来てください。それまで、私も頑張りますので!」と力強くおしゃっていたのが心に残ります。いや、本当は私、心の中で言っていました、「おかあさん、それ以上頑張らなくっていいですから、もう充分苦労されてきたのですから、どうか、お体を大切に」と。
【フェリーで大島へ】 愛媛県松山市出身の私は、幼少期、瀬戸内海の大三島で育ったこともあって、このフェリーに乗る場面で、故郷のことを思い出さずにはいられませんでした。フェリーの甲板からは乗客がカモメに餌付けしていることもあって、ず~っとカモメが何羽も追っかけてきます。「あ~、田舎になんにも貢献できていないんだよな」と、今までの自分を振り返り、ちょっぴりセンチになっている間に大島に着きました。
大島に着いて明海荘に荷物を入れた後は、小田の浜海水浴場へ
【バーベキュー@大島】 昨日、ぴんぽんでお世話になったタッカさんと、従兄弟のタケちゃん、ウクレレを披露してくださった小野寺さん、明海荘のご主人、パチンコ談義に花を咲かせた石川さん、新宿二丁目の案内をせがんでいたヒロシ隊長ら、地元の方々が最高のバーベキューを用意してくださいました。本当に感謝!すがとよ酒店さんからいただいた「蒼天伝」も最高においしかったです。
わかめ大将タッカさん直伝のホタテの焼き方:ホタテは上下対称ではなく表面が円くなっている方が上なので、最初にそちらを下にして焼き、ちょっと蓋が開いたタイミングでひっくり返して焼くと汁がこぼれず上から下まで火を通すことができるそうです。 さぁ、明日も頑張るぞ!
(宿泊:大島 明海荘観洋 )
第三日目9月10日(土) 【iPad・セキュリティ教室@気仙沼大島公民館】 大島では二班に分かれて、一班は、地元のお子さんと親御さんを対象として、トレンドマイクロが気仙沼図書館に寄贈したiPadを用いてセキュリティ教室を実施。二班は、地元小学校のイベント設営のお手伝いでパイプ椅子や机の運搬をお手伝いしました。
セキュリティ教室に参加した私は、「何人来るのかなぁ~、子供に楽しんでもらえるかなぁ」、と若干不安を感じておりましたが、小学生(女の子ばかり)6人とお母さんたち3名、おじさん4人が来てくださいました。「パソコンに出た警告画面が消えない場合はどうしたらいいの?」とおじさんからも熱心な質問が飛んで来たり、「インターネットで気を付けることを学ぼう!」という座学のほうもクイズ形式で子供たちが完璧に答えてくれて嬉しく思いました。「アプリをいろいろ使ってみよう」のコーナーを楽しんでもらっている間、私は、「海産物の受発注販売管理にも使っているPCなのですがセキュリティが不安」という、ご相談をいただいた小松さんのノートPCでエクセルのパスワードのかけ方についての説明と、ウイルスバスターのインストール作業を行いました。「どうか、これからも何か疑問点がありましたら遠慮なく聞いてくださいね。」と、願いつつ、皆さんと記念撮影。
【明海荘にてお弁当&振り返りトーク】 明海荘で用意してくださった昼食後、全員で振り返りトークを行いました。肌で感じた震災津波の凄さ、前向きに生きる人々、プロジェクトとして継続して行くことの大切さ、等々、参加者それぞれが自分の感じた事を共有しました。
【Tatton畑で雑草引き】お昼ご飯をいただいた後、私たちは第28回スマイルプロジェクトで綿花の種を植えたTatton(タットン)畑で、畝に伸びてきた雑草を手で抜き取る作業を行いました。最初は、どこから手を付けて良いやらわからないくらい伸び放題だった雑草が、全員の作業で徐々に綿花畑らしい風情になりました。炎天下での作業で、終わった時は、本当に水を浴びたくなりましたが、細部まで突き詰める人、とにかくスピード重視の人、何気なくさぼるのがうまい人、とそれぞれ個性が揃ってひとつの作業を行い確実にチーム力は上がったなと感じました。綿のほうも薄いピンクの花びらが落ちて、これからつぼみが綿になっていくのかなぁ、という時でした。私たちの気持ちもひとつになって真っ白な綿を付けて欲しい。そんな気持ちになりました。
【亀山展望台】 お世話になった明海荘前で記念写真を撮ったあと、マイクロバスに乗って亀山展望台へ、気仙沼湾を超え、はるかに見える三角の山が女川の金華山。「三年続けてお参りをすると願い事が叶う」と言われているそうです。説明をしてくださった明海荘のご主人に、「行ったの?」と突っ込むと、「行けていません」とのこと、それくらい大変なことなので御利益があるのだそうです。
【帰路へ】 フェリーで気仙沼に戻った後、俳優 渡辺謙さんが13年11月にオープンし、ずっと直筆FAXを送り続けているK-portカフェで荷物を置いてひと休みさせていただき、気仙沼駅までタクシーで移動。そこから一ノ関までおそらく「乗り鉄」にはたまらないだろうローカル線で汽車移動し、一ノ関から新幹線で東京駅までの帰路につきました。翌日、ニュースでは気仙沼で『第3回海の市 サンマまつり』が開催されたと報道されていました。
【SMILE PROJECTを終えて】私たちのボランティア活動は、それ自体は、草引きであったり、インターネット教室で会ったり、と本当に微力なものであったかもしれませんが、人とふれ合う事で、人として大切なもの、自分が忘れていたものに気づくことができたのではないかと思います。今回は、部門研修という形で行ったこともあり、事前にゴールとしていた事が2つありました。ひとつ目は、世界における日本の強みとしてのチームワーク。もうひとつは、最澄の言葉であるところの「自利利他」を学ぶ、ということでした。
チームワーク、これはメンバーの個性を良いとか悪いとかではなく、それぞれ知ることができたこと共同作業を行った事で確実に深まったと思いました。そして2番目の自利利他については、他の人の利になることをすればいつかは巡り巡って自分の利益にもなるというような考え方ではなく、「他の人に何かを出来る事自体が自分の幸せなのだ」、という精神です。私は、正直に言えば、個人的に不遇に思う事が数々あり、今まで「自分自身が色々問題を抱えているのに、他人様に何かをしてあげられるなどというのはおこがましい」とボランティア参加にためらいを感じていました。しかし、今回、長い間封印してきたふるさとの思い出がフラッシュバックするような体験を通じて、随分と自分探しをさせていただいたという気持ちです。それについて感謝の気持ちを持つことができました。
そして、語り部となってくださった方々は皆さん、「また、ここに帰って来て復興した姿を一緒に見てくださいね。」とおっしゃいます。今度、ここを訪れるときには自分も、「ここまで頑張ったよ」と言える自分になりたい。置き去りにしてきたものを、少しでも前に進めて行きたい、そう強く思いました。
最後になりましたが、このプロジェクトを支えてくださっている地元の方々、そして社内で色々と準備してくださった事務局のみなさんに御礼申し上げます。
活動年月日:2016年9月8日(木)~10日(土)