第29回SMILE PROJECTレポート

東日本大震災から5年が経過した今、私たちにできることは何なのか。
そのヒントを少し見つけることができた、第29回目のウイルスバスター スマイルプロジェクトでした。
トレンドマイクロ ジェネラルビジネス推進部の河合康太朗が、レポートさせていただきます。

【はじめに】
東京オフィスの8名が参加。4名は本プロジェクト経験者、残り4名は初めてです。
今回のボランティア活動は、気仙沼大島の小田の浜海水浴場で開催されるイベント「Island Festival 2016」のお手伝いです。気がかりは、まだ梅雨の明けないお天気。太陽は顔を出してくれるのでしょうか。
気仙沼市内の小泉公民館では、トレンドマイクロが気仙沼図書館に寄贈したiPadを用いた子供向けセキュリティ教室も開催します。出発前に、大人向けの資料を子供向けに必死に修正。子供たちに伝わるのでしょうか。
また今回も、各被災地を訪問予定です。一ノ関に向かう新幹線の中で、あらためて東日本大震災をに関する情報をインプット。あれから5年、街はどのように復興してきたのでしょうか。
もちろん、唐桑半島の牡蠣小屋、本プロジェクト定宿の「明海荘」など、三陸沖の海の幸も存分に体験予定です。
7月29日午前9:30、一ノ関到着。レンタカーで気仙沼へ。今回は2泊3日です。

【ボランティア活動】
「Island Festival」は、東日本大震災で心理的に距離ができてしまった海とのつながりを深めてもらおうと、「大島の自然を守る会」が企画したイベントです。ビーチヨガ、SUP(スタンドアップパドル)、シーカヤックなど、様々なアクティビティが用意されました。会場は、環境省が選定した「快水浴場百選」に選ばれる小田の浜海水浴場。震災により大きな被害を受けましたが、地元の皆様や各地からのボランティアの方々が復旧に向けて力を合わせました。そして3・11から1年4ヶ月後の平成24年7月21日、再び海開き。
気になるお天気は、なんとイベント前日に東北地方が梅雨明けとのニュース。最高気温28.7℃。三陸沖の冷たい海風が心地良く感じられる夏空の下、事務局テントでオフィシャルTシャツの物販や、海の家のお手伝いをしました。販売するTシャツは、どれも大島の自然に関するものばかり。実際にお客さんにTシャツのデザインを説明したところ、多くの方に共感していただけました。海の家では、ホタテなど漁師さんならではメニューをお客さんに提供。販売する傍ら、ホタテを美味しく焼くコツを教えていただくなど、ちょっとした学びも。
日の入り時刻には、大島北部の亀山(標高235m)に登頂しました。金色に輝く気仙沼湾と、”緑の真珠”と言われる大島。まさか5年前のあの日、ここが4日間も山火事に見舞われたなんて。
防潮堤計画など自然との付き合い方に難しい決断を求められる中ではありますが、また大島を訪れた際には、ぜひこの自然を体験したいと思います。

【子供向けセキュリティ教室「タブレット型パソコン講座」】
気仙沼市の小泉公民館にて、小学生とその親御さん向けにタブレット型パソコンの安全な使い方を講義させていただきました。この夏に配信が開始されたばかりの世界的人気ゲームアプリの偽物アプリを例に、スマートフォンやタブレットを取り巻くセキュリティ上のリスクを説明。端末の操作中にわからないことがあったら自分ひとりで勝手に判断せず、必ず保護者の方に相談するようにお伝えしました。
でも、やっぱり子供は座学よりも、遊ぶことが大好き。iPadのカメラでお友達を撮影したり、内蔵の簡易ゲームを使って遊びました。この日はじめて操作するお子さんもいましたが、覚えるスピードは早く、すぐに使いこなすことができました。
簡単に使いこなせるデバイスだからこそ、様々なリスクがあります。特に偽物アプリに関するクイズでは小学生もなかなか本物との区別がつきませんでした。我々にとっても、あらためて子供を取り巻くインターネットセキュリティのリスクを考えるきっかけとなりました。

【三陸沖の海の幸】
大津波に襲われたことが信じられないほど静かな内湾に位置する、唐桑半島の牡蠣小屋。獲れたてのうに丼とホタテをいただきました。店内にはお客さんからの応援メッセージが数多くあり、中には和歌山から来られた方も。ここで舌鼓を打ったのは、どうやら我々だけではないようです。スマイルプロジェクト開始当初からお世話になっている「明海荘」では毎晩新鮮なお刺身をいただいたほか、地元の漁師さん達も駆けつけてくれました。みなさんいつお会いしても元気です。「また来たね」から「また帰ってきたね」。自然とそんな関係になれるよう、これからも本活動を続けていきたいと思います。

【被災地訪問】
ボランティア活動と並行して、被災者の方々にお話をお伺いしたほか、各震災遺構を見学しました。

■すがとよ酒店・菅原文子さんのお話(気仙沼市)
すがとよ酒店は、もともと気仙沼市鹿折地区で営業していた酒屋さんです。まもなく創業100年。女将の菅原文子さんは、震災で二代目のお父様、お母様、そしてご主人を亡くされました。しかし、なんとかお店を続けたいとの想いで3人の息子さんと協力され、現在は仮説の店舗で営業されています。
「ただお店にお酒を置くだけでは売上は伸びない。だったら自分が体験したことをお話して、もっとお客さんが来てくれたら」と語る菅原文子さん。いよいよこの秋には現在の仮説店舗から鹿折地区に戻り、通常の店舗で営業を再開されるとのこと。力強く語る女将のお店では、同店の看板銘柄「負けねえぞ気仙沼」のラベルが輝いていました。

■米沢商会・米沢祐一さんのお話(陸前高田市)
高さ約15メートルの津波に襲われた陸前高田市。米沢祐一さんは、ご自身が経営する店舗の3階建てビルの屋上に避難し、奇跡的に助かりました。大津波の爪痕が残るビルの屋上のさらに上の通風孔に登らせていただき、当時の米沢さんと同じ態勢を体験。地上15メートルの高さは相当なもので、足がすくみます。この位置からわずか10cm下まで水が来ていたとのこと。想像しようにも、なかなか想像できません。
「ほんの小さなことが数秒の逃げ遅れに繋がる。この教訓をぜひみなさんも活かして、そして周りの人に共有して欲しい。そして、また陸前高田に来て、徐々に復興していく喜びを一緒に体験してほしい」。そのように語る米沢さんからは、複雑な心情ではありつつも、ご自身の過去をなんとか社会の役に立てたいというお気持ちが感じられました。

■大川小学校で津波に飲まれた小学生のご遺族の方のお話(石巻市)
全校児童108名のうち74名が津波の犠牲になった大川小学校の跡地では、偶然にもご遺族の方のお話を伺うことができました。津波到達まで51分間という猶予、校庭の指揮台に置かれたラジオから再三繰り返される大津波警報、校庭から1分ほどのところに実際の授業でも登った裏山。そのような状況で、誰しもが子供を守ろうとしていた中で、どうして、校庭に留まり続けることを選んでしまったのか。
「非常時には正常な判断ができなくなる可能性は誰にでもある。だからこそ、日頃からどのような備えをしておくのか、学校だけでなく家庭でも教えていくことが大切」。
今回お話を伺ったご遺族の方は、この場所を訪れる人々にこのようなメッセージを発信され続けていました。悲しい過去と向き合いつつ、ご自身の経験を未来に活かしていく。被災者ではない我々はこのお話をどのように活かしていくことができるのか、考えさえられる時間でした。
その他、気仙沼観光コンベンション協会・熊谷様からは、なかなかメディアでは報道されない復興の現状をお聞きしたほか、陸前高田市の「奇跡の一本松」や南三陸町で津波に飲まれた防災庁舎なども見学しました。震災遺構を残すのか、解体するのか。難しい問題ではありますが、我々のように被災しなかった者に考えるキッカケを与えてくれることも、事実ではあります。

【おわりに】
東日本大震災から5年が経過した今、私たちにできることは何なのか。
生活環境の復興は進んできましたが、「心の復興」はまだまだこれからである印象を受けます。では、どうすれば良いのか。今回お会いした方々は、皆さん過去と向き合いつつ、一方でご自身の辛い体験を何かしら社会のために役立てようと、必死にメッセージを発信されていました。彼らのメッセージに耳を傾け、教訓として学ばせていただく。そして、実際に行動を変える。そうすることで、少しは「心の復興」に寄与できるのではないでしょうか。
「あのとき、この場所でお話を聞いて、私はこのように変わりました」。
次に気仙沼に戻るときには、お話を伺うだけでなく、こちらからも何かを伝える。
そして、徐々に進んでいく復興の喜びを、ぜひ一緒に噛み締めていきたいと思います。

活動年月日 2016年7月29日(金)~7月31日(日)