第27回SMILE PROJECTレポート

みなさん、こんにちは。 第27回トレンドマイクロ ウイルスバスター SMILE PROJECT メンバーの釜山公徳と申します。
今回のプロジェクトは、2016年3月4日(金) ~ 3月6日(日) にかけて、弊社社員9名で参加いたしました。私は東日本大震災発生当時、被災地、被災者の方々のために何か尽力したいと考えておりましたが、諸事情により行動に至らず、5年を過ぎようとしていました。 しかしながらそのとき、このプロジェクトへ参加する機会に恵まれました。

初日はまず、観光コンベンション協会の方より様々なお話を頂戴いたしました。現状の復興状況や防潮堤の要否等について、お話いただきました。防潮堤の効果の有無は難しいところではございますが、防潮堤を建造することにより内側から海が見えないため、海が見えない環境で子供を育たせるのは地元の文化にあわないのではないかという意見もあるそうです。そして次に陸前高田市へ赴きました。現在、瓦礫は一部残存しているものの、周囲を見渡しても、かつての町並みはどころか建物すらなく、いくつもの工事車両と奇跡の一本松と言われる松の木が一本あるだけでした。その後、陸前高田市にて商いをなさっている米沢商会の米沢さんとお会いし、実体験をもとに事細かに当時の凄惨な状況についてお話いただきました。震災当時、ご両親と弟さんは避難所である市民会館へ避難し、米沢さんご本人はご自身のビルの屋上へ逃げ込んだ結果、米沢さんのみが助かり、周囲は全て津波に飲み込まれ、避難所である市民会館ですら津波に飲み込まれ、そのときに必死の状況にも関わらず「16秒の映像」を撮影なさいました。この映像拝見させていただきましたが、潮の流れが異様な状況で、どこからどう流れているかがわからず、ただただ混沌と荒れ狂う状況であり、恐怖を感じました。この中で生き残ることがどれほど困難で、そしてどれほど辛かったのかと思うと、こみ上げるものを抑えることができませんでした。その後、救助され、「何で自分だけ生き残っちゃったんだろう。」と自責し、胸が張り裂けそうな日々が続いたとことです。しかし、それから 2 年を経て、ご自身の家族を想う気持ちから、当時のことをいつも想いながら生きていくと決意し、東日本大震災当時の状況のまま米沢商店のビルを残すことにしたと伺い、米沢さんの優しさの裏にある強さを感じました。なお、米沢商店の真裏に被災により折れた松の木が一本あり、折れた部分が鋭い刃物のようでした。海風などから守るはずの松の木は、津波により一転して凶器と化していたことは想像に難しくございませんでした。その次にお会いした「すがとよ酒店」の店主の方。夫を亡くし、悲しみの淵に立たされ、生きる希望を失いかけたにもかかわらず、周囲の応援をうけてすがとよ酒店を再興することになさいました。 多くの方々が仮設店舗から巣立つことが難しい中、ご自身の店舗を再建する兆しがあるとのことで安心いたしましたが、その一方で仮設店舗から巣立てない方々が多々いらっしゃる現実があることから、まだまだ深刻な課題が残されていることを理解いたしました。 そして、初日の夜、旅館海光館のご主人である小野寺さんより、陸側ではなく海側での視点にて、大島の津波の被害についてお話いただきました。 現在の大島の港では、震災があったことが疑わしいと思うくらい、穏やかな空気が流れておりますが、当時の様子を動画や拝見させていただき、壮絶であったことを改めて認識しておりました。 震災当時、船員の災害発生時の対応ルールとして「港の船に対して通常3つのロープをつけるのに対してさらに3つのロープをつける「増しロープ」を実施し、船が流されないようにすること」がありましたが、この震災においては意味をなさず、船自体が凶器になることから現在は「増しロープ」のルールが無くなり、地震発生の際には「とにかく高台へ逃げる」になりました。 震災当時、車で高台へ逃げる際、渋滞が発生し、車を捨てることができず飲み込まれる事象が発生したようです。 車よりも命の方が大事なので車を捨てればよいのではと尋ねましたが、車を一人が捨てることで、後続の車が前に進めなくなり他人に迷惑をかけたくないという善意からジレンマに陥っていた方が少なくないようです。

二日目は、早朝から港へ向かい、ワカメ作業ボランティア活動に参加いたしました。まず、船から引き上げ、ワカメとメカブにわけます。ここでワカメは簡単に湯がき、メカブは茎と不要な海藻とを包丁で切り分ける作業を行います。このとき並行して一定量を運送用の袋に詰める作業を行いました。 午前中はこれらの作業に従事し、その後村上さん宅兼作業場へ移動し、ワカメの出荷前作業を行いました。具体的には、次の作業を行いました。
- 茎抜き済のワカメを干す前の前処理を行い干す準備をする - 圧縮されたワカメをほどこして空気をいれる - 段ボールの準備 - ワカメの段ボール詰め - 一般販売用ビニル袋へのラベル貼り - ワカメのビニル袋詰め 一つ一つが手作業で、かなりの労働力が必要な反面、ワカメに触れている実感がございました。 日々、人の目でワカメを見ることで些細な違いをキャッチアップができることを学びました。 こういった観点があるため、被災地の方々にて苦境に立たされながらもあたたかさがあると感じ、尊敬の念がやみませんでした。

最後の三日目、大川小学校へ訪問し、驚愕と侘しさや悲しさが入り混じった複雑な心境になりました。 建物は取り壊さず、ある程度当時のままの状態で残しているようです。頑丈であるはずの鉄筋の石柱がもげている状態で五年間も止まっており、津波の恐ろしさを物語っているようにみえ、またその当時のまま時が止まっているようにも感じました。 その後、南三陸では九州から来られ、現地で石鹸事業を起業なさった方からお話を伺いました。 被災地では支援があるものの継続したビジネスはまだまだ難しいのが現状であるものの、その原因を分析し、20~40代の層で働けるよう尽力なさっているようです。 復興もさることながら、被災地の復旧のためには、ビジネスの活性化も重要な課題であると痛感いたしました。

三日間を通じて、まず、我々がキャッチアップ可能なメディア等からの情報とはほど遠く、凄惨で驚愕いたしました。 その状況にもかかわらず、被災地の方々に共通して笑顔が優しく、かつ心が澄んでいらっしゃるようにみえ、それでいて、芯がありたくましい様にもみえました。その姿を見て、ボランティア活動をするというよりも、人間として強く生きることを学んだように思えます。また、陸前高田市において、五年を過ぎようとしているにも関わらず、復興どころか復旧にも至っていない現実を目の当たりにし、哀惜してもしきれず、悲痛な思いでいっぱいでした。その一方で大島などでは当時の爪痕はあるものの、凄惨な状況とは打って変わった状況であり、徐々に忘れ去られるのではないかと危惧いたしました。我々は悲劇を二度と繰り返さないため、そして被災者の方々の強い意志を後世に残すため、継続して行動し糸を紡いでいかないとならないと決意いたしました。

活動年月日 2016年3月4日(金) ~ 3月6日(日)