第46回SMILE PROJECTレポート

未曽有の大震災の被害を受けた東北に、9回目の夏が訪れました。
第46回 スマイルプロジェクトは東京・大阪から9名(初参加は5名)で陸前高田市、気仙沼大島へ伺いました。
今回はジェネラルビジネスSE部の鈴木とパートナー営業本部の相田よりレポートさせていただきます。

(今年4月、本土を気仙沼大島を結ぶ橋が架かりました。夏も終わりが近づいていますが向日葵も元気に咲いています。)

■あなたの大切な人は誰ですか?

 ~目を閉じて、想像してみてください。

  あなたは家で大切な人と過ごしています。
  その時大きな地震が発生し、大切な人が大きな本棚の下敷きになってしまいました。
  さらに不幸なことに火災が発生し、すぐ近くまで火の手が迫っています。
  あなたの大切な人は「私を置いて早く逃げて」と言いました。

 その時、あなたはどうしますか…?~

私たち2人はこの問いに対して、答えを見つけることができませんでした。
こうした場面に直面したことがないから。そんなこと、考えていなかったから。
理由はたくさん浮かびますが、一番は”震災が起きても自分たちは大丈夫だろう”という思いが心のどこかにあったからだと思います。

そんなこと、起こるはずがない。起きてほしくない。彼らも、そして私たちも、最悪の想定から目を背けていました。
正直なところ、「○○警報」「△△警戒情報」をうけても逃げたことはありません。避難所さえもわかりません。
個々が「自分ごと」と捉え、その瞬間どうするべきか、全員がこの問いに答えられるようにならなければいけないと学びました。

また、実際の避難時の様子を撮影した動画の中には、大勢が高台へ避難している最中、荷物を取りに戻る姿も見られました。
大切な人を置いて逃げるのか?死なないためにどうするべきか?
自分たちは大丈夫だろうとは考えず、そうした最悪の状況を回避することを最優先に考えなければならないと強く感じました。

(桜ライン311 岡本代表のお話。100分では足りないくらい心に刺さるお話でした。)

■後悔するのは、そこに愛があったから

自然災害を「自分ごと」にしてほしい。— 桜ライン311の岡本代表はこう伝えます。
皆さんは自然災害を「自分ごと」として考えたことがあるでしょうか。

東日本大震災では、大切な人を守るために多くの人が尊い命を落としていったと言われています。
大切な人があなたの前からいなくなったら苦しいように、あなたがいなくなったときは大切な人が苦しみ続けるのです。
こうした後悔をしない、させないために「自分のためじゃなく、大切な人のために備えよう。」と岡本代表には防災への意識改革を促していただきました。
家族と津波から逃げる中、手を放してしまいもう会えなくなってしまったという後悔がある方もいらっしゃるとのことです。

そうした悲しみの連鎖を防ぐためにも、私たちにできることは自然災害を「自分ごと」として捉え、常に対策を考えていくことだと思いました。

■あの日

2011年3月11日 14時46分。マグニチュード9.0の地震が発生し、揺れと津波が街を壊していきました。
あの日、私たち2人は学生でした。
ものすごい勢いで流される家屋、屋根の上で救助を待つ人々、何もなくなった土地。
画面越しの悲痛な光景に心を痛めていましたが、心なしかどこか違う世界で起きている話のように感じていました。

陸前高田市の震災遺構として残すことが決定した米沢商会。
「ここの目の前は道路だったんです。」
かつて街だった広い土地を見つめ、主の米沢さんは語ります。
米沢さんはあの日、押し寄せる津波の中、藁にもすがる思いで店舗の屋上に避難し一命をとりとめました。

もし、自分があの場所にいたら、同じ光景に直面していたら。
そこにあったのは、考えるだけで恐ろしく、辛いという言葉では形容できないほどの現実でした。

(米沢さんには街の移り変わりを、過去の写真を交えてお話いただきました。)

土地はかさ上げされ整備が進み、住居や店舗も装いを新たにし、生まれ変わっていく町の姿がそこにはありました。
しかし、整備されたまっさらな土地を見つめる米沢さんの眼差しには、どことなく寂しさを覚えました。

思い出の場所が形を変え一気に生まれ変わろうとしていますが、失ったものはもとには戻りません。
「物理的な復旧」が進んだ今、「心の復興」こそが本当の意味での復興なのではないでしょうか。

■ボランティアの意味とは

あの日から8年の年月が経った今、そしてこれから。
私たちには何ができるのでしょうか。そして、何を残せるのでしょうか。

このスマイルプロジェクトは東日本大震災をきっかけに発足しました。
震災から8年続けているこのプロジェクトではたくさんの方々との出会いがあります。
今回もたくさんの出会いがありました。
陸前高田の米沢さん、菅原さん、気仙沼の臼井さん、桜ライン311プロジェクトの岡本さん、大島の地元の漁師さん…。
菅原さんは、「この街を訪れる方は減っている。定期的に来てもらえることがすごくうれしい」とおっしゃっていました。

震災で壊れた街の回復のお手伝いをすることもボランティアだと思いますが、彼らの思いを聞き、
再び変わったこの地を訪れることもまた、ボランティアの一つなのではないか。と、この活動を通して感じました。

「特別なことができなくてもいい。
 彼らにとって、変化を喜び合い、ちょっとした愚痴でさえも話してもらえるような存在になりたい。」

初参加の私たちは、以前参加したメンバーと地元の皆様の仲睦まじい交流の様子から、こうした想いを抱きました。

(菅原さんとのお話の風景。震災後に建てたこの素敵なお店ではピアノコンサートを開催するなど地域の人の憩いの場となっています。)

■想いをつなぐ

「私たちは、悔しいんです。」

明治時代にも、大きな津波が三陸を襲っていることをご存知でしょうか。
当時の人々は、これ以上犠牲者をもたらしたくない、震災の被害を伝えたい、という想いから
”地震が来たら津波に気をつけろ”と書かれた石碑を作成していました。
しかし、石碑の教訓が活かされることはなく、東日本大震災では「地震=津波=避難」と判断できた人は多くはありませんでした。
岡本代表の運営する桜ライン311の活動趣旨には、こうした思いが込められています。

震災で大切な人を失わないために。
もう二度と、悔しい思いをしないために。

復興に向かう彼らの想いをつないでいく。
活動に参加した私たちが担うべき役割だと気づかされました。

”負げねえぞ 気仙沼”

震災後もお店を守り続け、今年めでたく100周年を迎える すがとよ酒店の菅原さんが書いたこの言葉には
たくさんの思いが詰まっています。

震災を乗り越え新たな一歩を踏み出そうとしているこの地を、この言葉が支えています。
美しい港町が復興する姿を、この活動を通じて出会えた仲間と心から喜び合いたい。
みんなの想いをつなぐために、もう一度この土地を訪れたい。

心からそう思いました。

<第46回ウイルスバスタースマイルプロジェクト>
活動日:2019年8月30日~9月1日
訪問先:気仙沼市、陸前高田市

<活動日程>
1日目
 - 観光コンベンション協会 臼井さん(語り部)
 - 米沢商会 米沢さん(語り部)
 - すがとよ酒店 菅原さん(語り部)

2日目
 - 桜ライン311の岡本代表のお話
 - 桜ライン311プロジェクト(草刈り)
   ※前回までの植樹の様子(2017、2018、2019)
 - 大島の漁師さん宅で懇親会
 - 明海荘 宿泊

3日目
 - 伝承館見学

今回のこのプロジェクトでお世話になった気仙沼大島・陸前高田の皆様、プロジェクト事務局のメンバー、チームのメンバーに深く御礼申し上げます。

PHOTO BY:YOSUKE AKIHO
WRITTEN BY:SAYURI SUZUKI / KYOKA AIDA