第23回SMILE PROJECTレポート

みなさん、こんにちは。 第23回ウイルスバスター SMILE PROJECT メンバーの阿部喬介です。第23回目となる今回は、5月29日(金)から5月31日(日)までの2泊3日の日程にて、気仙沼市、陸前高田市、および大島へ社員9名で参加して参りました。参加メンバーのうち私を含む6名は、今回本PROJECTは初参加となりました。以下、3日間の活動についてご報告させて頂きます

■1日目 初日は早朝の新幹線で東京から一ノ関へ、一ノ関からはレンタカーで気仙沼まで移動しました。津波による被害が大きかった気仙沼や陸前高田は、4年が経過した今現在もまだまだ復興が進んでいない印象を持ちました。気仙沼に到着後は唐桑半島のカキ小屋で昼食を頂きました。東京ではお目にかかることが出来ない贅沢で美味しい牡蠣を頂きました。 その後は、気仙沼から陸前高田への移動最中に、観光協会の熊谷さんから震災前、震災直後、そして今現在の被災地状況についてお教え頂きました。車窓から見える気仙沼の景色は、震災直後の火災により何も無い台地が広がっており、当時、津波から避難した人々に追い打ちをかけるように襲ってきた火災、一面に広がる火の海を想像するだけで恐ろしくなりました。また、気仙沼や陸前高田では土地をかさ上げする作業が行われておりましたが、その隣にはまだまだ仮設住宅が残っていました。地域に寄り添った復興をするためには、国民一人一人が被災地の現状をもっと理解する必要があると感じました。陸前高田に到着後、大津波を奇跡的に生き延びた米沢商店の米沢祐一さんに体験談をお聞き致しました。陸前高田は最大17メートルの大津波が押し寄せた地区の一つでした。米沢さんのお話は終始衝撃的な内容でした。迫りくる大津波から逃げるために自社ビルの階段を駆け上がり、3階建ての屋上の先にある煙突のような場所のわずかなスペースに逃げたそうです。3階建ての自社ビルの屋上に逃げたが足元ぎりぎりまで押し寄せる濁流が迫ってくる恐怖は想像を絶するものだと思います。津波が引いた後の雪の降る凍えるような寒さと朝まで戦いながら命からがら生き延びたそうです。米沢さんはこの津波でご両親と弟さんを亡くされております。 非常につらい体験をされているにも関わらず、こうして貴重な体験談をお話し頂けるのには多くの方に伝えることにより、今後このような事態が起こった際に一人でも多くの方が生き延びて欲しいという思いがあることを知り非常に感銘を受けました。その後、奇跡の一本松に立ち寄った後、米沢さん同様津波の被害から生き延びた菅原文子さんが営む酒屋を訪問し菅原さんからもお話を伺いました。菅原さんのお店とご主人を目の前で津波に奪われ、生きる気力を失いかけたが、息子と地元の人々と協力し合いながらで只々がむしゃらに生きてきたお話が印象的でした。月日が解決してくれるのではなく自立して前を向いて生きていくことを話されていた姿がとても凛々しかったです。その後は居酒屋ぴんぽんにて地元の方々と懇親会の場にて色々とお話しさせて頂きました。

■2日目 2日目は「タブレット講習会」を行うため唐桑公民館に移動しました。初日同様、移動中の車窓からは津波によって破壊された護岸や堤防、最大水位の印が至るとことにあり沿岸部での当時の被害状況を把握する事が出来ました。地元図書館主催の講習会に参加された方は12名で、50~70代までの世代の方々にご参加頂きました。大多数の皆様がタブレット自体に触れる事が初めてのようでしたが、お子さんやお孫さんからタブレットをプレゼントされこれを機に勉強するという方もいらっしゃって、皆さんとても勉強熱心に学ばれておりました。ゲームアプリに対しても非常に関心度が高く終始楽しい雰囲気で講習会を終える事ができました。講習会後に図書館の皆さんとお話をさせて頂きましたが、まだまだ復興が進んでいない現状や、それでも前を向いて生きていくお話をお伺いさせて頂きました。午後は地元の子供たち向けの「実験工作教室」のサポートをさせて頂きました。普段生活している環境に、酸性とアルカリ性のものがどのくらいあるかを実際に実験しながら進めていく教室のためわかりやすかったです。今後の被災地を支えていく子供たちは非常に活発で元気があり安心致しました。その後、フェリーで気仙沼から大島に渡り、明海荘でお世話になりました。明海荘のご夫婦の豪快な手料理を頂きながら、島の方々との交流の場を設けて頂きました。また夜風と共に流れてくる島民の方が演奏してくれた音楽が心地良かったです。

■3日目 3日目の最終日は、車で島の反対側に移動し大島で牡蠣の養殖業を営む小松武さんの養殖場のお手伝いをさせて頂きました。この日は、養殖で使用する網を運ぶ作業と散在していた養殖器具の整理整頓を中心に行いました。基本的に養殖器具は結構な重量があり肉体労働でしたが、快晴でとても作業がしやすかったです。また、チーム内で「もっと使いやすくするためには?」など意見を出し合って作業でき、チームワークの強化も図れました。ボランティアとは自分自身で考えて、相手の方が望むことを形にすることが重要だと私は思いました。養殖道具をただ運ぶのではなく、利用者視点で作業することが重要だと思いながら作業しました。その後、牡蠣養殖の現場を見学させて頂きました。非常に手間がかかる作業を実施することにより大島でしか作れないサイズの牡蠣が養殖される工程を学ぶことが出来ました。湾内には養殖イカダが多数ありましたが、震災当時は大切に育てた養殖イカダも思い出が詰まった家も、大津波により大打撃を受け絶望感に打ちひしがれたことを聞き、心が締め付けられる思いが致しました。見学後に牡蠣や浅蜊のお吸い物など美味しい料理をおもてなし頂きました。 お忙しいところ本当にありがとうございました。とても美味しかったです。フェリーの時間まで少し余裕があったため、火災のあった亀山の山頂に登りました。山頂からは大島や気仙沼を一望でき、リアス式海岸の広がる壮大な景色に圧倒されました。しかしながら要所要所で震災の爪痕がまだ色濃く残っており、まだまだ復興支援が必要だと感じさせれました。

■SMILE PROJECTを終えて 時間の経過とともに、日常を取り戻すことが出来ている人も反面、まだまだ困難な状況の中、復興への長い道のりを覚悟しながらも、必死に頑張っている人もたくさんおりました。私自身、3日間で様々な震災被害の現状を見て、被災者の方々の貴重なお話をお伺いできたことは、今後の復興に向けてどのような行動が出来るか大変勉強になりました。 まだ震災の状況を実際に見ていない方には是非ご参加頂き、日本国内の東北地方でどのようなことが起こり、どのような状況になっているか自分自身の目で見て聞いて頂きたいと強く思いました。我々が今後すべきことは、もちろん現地に伺って復興支援をすることも大切ですが、それと同じくらいに震災という事実を一人一人が正しく理解し、後世へ伝えていくことだと感じました。これから先、SMILE PROJECTで継続的に当社の人間がお伺い致しますが、SMILE PROJECT以外でも本当の意味での復興に携わっていきたいです。最後に、23回に渡り変わらず温かく我々を受け入れて頂いた気仙沼、気仙沼大島、陸前高田の皆様、この機会を提供頂いた当社SMILE PROJECT事務局の皆様に心より御礼申し上げます。

活動年月日 2015年5月29日(金)~5月31日(土)